デス・オーバチュア
第116話「鮮血のカードマジック」




世界が変わっていた。
天から降り注いだ炎の雨を辛うじて回避しきったかと思えば、周囲の景色が一変していたのである。
雪も門も無くなっていた。
そこは黄昏の戦場。
戦士の躯と朽ちた武器だけが場を埋め尽くす、血煙と死臭に満たされた世界だった。
「……馬鹿な……これはいったい……?」
「……私の世界へようこそ……」
タナトスは声のした方向に視線を向ける。
真紅の十字架の墓の上に一羽の真紅の鴉(マハ)が留まっていた。
「……お前……何をした……?」
「…………」
マハは、前開きの赤いコートを翼のようにはためかせ、墓から飛び降りる。
「……君には何もしていない……したのは……世界にだ……」
マハは足下の死体の左胸を鎧ごと右手で貫くと心臓を剔りだした。
「……世界?」
マハは心臓にかぶりつく。
「ん……むぐ……周囲……空間を転移させただけだ……」
心臓の肉を咀嚼しながら何でもないことのように言った。
「……空間転移? そんなはずは……」
認識できぬままに自分まで転移させられたというのだろうか?
「……多分、君の認識している空間転移は間違っている……私達が別の場所に転移したんじゃない……場所の方を転移……入れ替えた……ただそれだけだよ……んぐっ」
マハは心臓を全て食らい尽くした。
「なっ……そんなことが……?」
無駄にスケールが大きな能力な気がする。
「より正確に言うと……結界、領域……隔離世界のようなもの……私達の居る座標は変わらず霊峰フィラデルフィアの同じ場所……」
「…………」
タナトスはマハの言っていることの意味が半分も理解できなかった。
「……でも違う場所でもある……ここだけ異世界……隔絶された別次元……」
「……もっと解りやすく話せ……」
「……うん、そうだね……邪魔が入らなくて、私の力が発揮しやすい『空間』に君を引きずり込んだ……でどうかな?」
「それなら解る……至極解りやすい!」
タナトスは聞きたいことは聞いたとばかりに、大鎌を構え直す。
「……私の主食は戦士の死肉……そして、私の能力は……戦場で死んだ者の血を用いて行う血盟魔術……っ!」
マハは右手を濡らしていた血を飛ばし、空間に一瞬で赤い『魔法陣』を描いた。
「……ここを君の墓場にするといい……」
「つっ!」
真上から何かが来る。
本能的にそう関知したタナトスは、考えるよりも速く、背後に跳んだ。
直後、タナトスの目前に真紅の巨大な十字架が通過する。
それはこの空間に来て最初にマハが留まっていた墓と同じものだった。
「……まだだよ」
真紅の十字架は雨のように、次々にタナトスを狙って降り注ぐ。
黄昏の戦場が、真紅の墓地へと変貌していった。
「くっ……」
頭上からの攻撃は普通の正面からの攻撃より遙かに避けにくい。
それでも、タナトスは辛うじて天より降り続ける十字架を避け続けていた。
「ふっふっふっ……やはり、こんなものに当たるほど間抜けではない……みたいだね……」
十字架の雨が止む。
無数の十字架はこの世界全体に綺麗に並び立っており、黄昏の戦場は完全に真紅の墓地へと姿を変えていた。
「……ランダムドロー……」
マハの左手に五枚の真紅の『カード』が出現する。
「さて……ここからは『カードマスター』として相手をしようか……」
マハは背後に跳ぶと、一つの真紅の墓の上に着地した。
「……私の魔術は躯の血を必要とする……そのため、戦場を招く能力まで身につけた……でも、それでも……この魔術は制限がありすぎる上に……あくまで相手が人間レベルでなければ有効ではない……よし、これにしよう」
マハは五枚のカードの中から一枚を右手で引き抜く。
「戦場で狂乱……有象無象の人間達を虐殺するだけならともかく……高次元の存在と戦うには私の力は役不足……ゆえに編み出したのがこの能力……召喚、ガエボルグ!」
カードが消滅したかと思うと、代わりに漆黒の巨大な槍が右手に握られていた。
その切っ先は鋭く、また刃には、鋸のようなぎざぎざの切れ込みが入っている。
タナトスはその槍に見覚えがある気がした。
「……確か、あれは……ゲイボルグ?」
ケセド・ツァドキエルが使っていた大きくて重そうな槍。
「……そうとも呼ぶね……」
マハが右手を離すと、漆黒の槍はマハの足下の空中で『停止』した。
マハの裸の右足が漆黒の槍に触れる。
「……足投魔槍(ガエボルグ)!」
マハは蹴り飛ばすかのように、槍を足で投げつけた。



あの槍の能力は解っている。
投擲すると、先端の切れ込みから無数の矢尻が飛び出すのだ。
以前、ケセドと戦った時は、致命傷になる矢尻だけを弾き、他を喰らいながら捨て身でケセドを切り捨てたのである。
あの時より自分の実力は上がっているはずだ。
今回は全てを弾くつもりで、タナトスは自ら飛来する槍に向かて行こうとする。
だが……。
「速い!?」
タナトスが一歩を生み出すよりも速く、漆黒の槍がタナトスの眼前に迫っていた。
そして、弾ける。
無数の針のような漆黒の光矢と化して……。
「はあっ!」
大鎌を全力で横に一閃する……それだけがタナトスにできた唯一のことだった。
「あああぁぁっ!」
タナトスは真紅の十字架をいくつもぶち壊しながら後方に吹き飛んでいく。
「……よく勘違いする者がいるが……ガエボルグは足で使う投げ槍だ……普通の槍のように手で使ってはその真価は発揮できない……」
タナトスはかなり後方にまで吹き飛ぶと、十字架に張り付けにされるような形で止まった。
タナトスの体中には無数の矢尻が突き刺さっている。
「……ケセドの時とは……速さも威力もまるで違う……」
タナトスは痛みを堪えて、戦闘態勢をとった。
「……足は腕の三倍の筋力を持つ……これはただの人間の常識……そして、足で放った時こそ……ガエボルグに込められた呪いの力は真の力を発動する……」
「……そのガエボルグはどうした?」
タナトスに刺さっている矢尻と違い、本体である漆黒の槍の姿はどこにもない。
「ああ、私のは使い捨てだから……」
「使い捨て?」
「ランダムドローで一枚補充……さあ、次は何を使おうか……?」
マハは再びカードを五枚にすると、その中から一枚を右手で抜き取った。
カードが消滅すると禍々しい装飾のされた黒い鞘に入った一振りの剣が出現する。
「ダインスレイフ……これぐらいのレベルの剣でいいかな……?」
「剣か……」
タナトスは剣から妙な空気……気配というか力のようなものを感じとっていた。
鞘から抜き放たれた剣の刀身は黒に赤で模様が描かれている。
「ダークマザーに似ているな……」
「……見た目に深い意味はない……あえて意味を求めるなら一目で魔剣……呪われた剣と解るようなデザインにしている……それだけのことだ……」
ダインスレイフは独りでに微かに震えているように見える。
「一度鞘から抜かれたら血を見るまで収まらぬ剣……所有者を破滅させる呪いを持つ剣……そんなありふれた魔剣の一つだ……君の十神剣には遠く及ばない……」
突然、宙を滑空するようにして、マハが瞬時にタナトスの眼前に移動した。
「くっ!」
ダインスレイフと魂殺鎌が交錯する。
「……それでもガエボルグと同じく、少しの間なら神剣と剣戟をかわすぐらいはできる……」
「…………」
確かに、ダインスレイフは何度魂殺鎌と交錯しようと折れたり、砕けたりする気配はなかった。
(……素人?……荒い……けれど……)
マハはでたらめにダインスレイフを叩きつけてきているだけに過ぎない。
だが、剣撃に途切れがなく、一撃一撃がとてつもなく重いのだ。
それゆえに反撃に転じにくい。
闇雲に噛みついてくる獣をあしらっているような気分だった。
「ふっふっふっ……ダインスレイフは君の血に飢えているんだよ……」
剣戟の最中とは思えないほどの落ち着き払った声でマハが呟く。
「……剣に使われているのか?」
マハが剣を振り回しているというより、剣がマハを振り回しているように見えた。
「そう……ダインスレイフは血を求めて勝手に暴れているだけ……血への妄執ゆえに猛襲するモノ……」
ダインスレイフの喰らいついてくる激しさが際限なく増していく。
「……戦雲を招く血飢えの剣(ダインスレイフ)!」
「くっ……捌ききれない!?」
まるでダインスレイフが何本にも増えたかのように、あらゆる角度からダインスレイフがタナトスに打ち込まれてきた。
そのうちの一本が魂殺鎌の捌きを潜り抜け、ついにタナトスの腹部を浅く切り裂く。
「がっ……ぐっ……」
「……もらった」
一瞬、ほんの一瞬だけタナトスの意識が痛みに移った瞬間の隙を逃さず、ダインスレイフがタナトスの左肩に突き刺さった。
「……破滅の時!」
言葉と同時にマハの姿が凄まじい速さで空高く遠ざかていく。
そして、タナトスに突き刺さっているダインスレイフが大爆発を起こした。



マハは一つの真紅の十字架の墓の上に降り立つ。
真紅の墓場の世界の三分のニ以上が跡形もなく消し飛んでいた。
「普通の人間なら跡形もない……でも……君は違う……」
爆発によって生まれたクレーターの中心に、人影がある。
「……ぐっ……」
タナトスは大鎌を杖代わりにして辛うじて立っていた。
左肩から先の腕が跡形もなく消滅している。
「おそらく私はそれ程強くない……それなのに君がその様なのは……君の強さの不安定さ、不完全さを物語っている……」
マハはカードを一枚補充すると、五枚のカードから一枚右手で引き抜いた。
「……レアカード……少し勿体ない気もするけど最後はこれにしよう……君もよく知っている武器だよ……」
カードの消滅と引き替えに、マハの右手に出現したのは……光り輝く黄金の五又の槍。
「……ば……馬鹿な……そんなはずは……」
「光輝槍ブリューナク……ガラボルグやダインスレイフがA級の魔槍(魔剣)なら……これはS級の神槍……『無銘の聖槍』すら上回る……槍としては最高位とも呼べるもの……」
「なぜ、お前がブリューナクを……いや、それがブリューナクであるはずが……」
光輝槍ブリューナク。
ビナー・ツァフキエルの正体であった、一度放たれれば五人の敵を瞬時に跡形もなく吹き飛ばす光輝の槍だ。
「くっ……死気解放………ああああああああっ!」
タナトスの叫びと共に、彼女を中心に灰色の風が溢れ出す。
灰色の風……死気の刃がタナトスの周りを渦巻いた。
「ふっふっふっ……死気による迎撃準備……正しい判断だね……でも、片腕を失ったそんな状態で……ブリューナクに勝てるのかな……?」
マハは光り輝く黄金の槍を引き絞る。
ブリューナクの放つ光輝の輝きが増し、マハの姿を覆い隠した。
「ああああああああああああああああっ!」
タナトスは、ただひたすらに死気の激しさを高めていく。
「……光り輝く五つの太陽(ブリューナク)!」
その瞬間、五つの雷が同時に落ちたような轟音が、五つの太陽が同時に現れたような輝きが、世界に生まれた。



紛れもなく、あれはブリューナク。
少なくとも、ブリューナクとまったく同じ姿と力をしたモノには違いなかった。
ならばすることは、できることは一つだけ。
「……デスストーム・バースト(死嵐爆砕)!」
今放てる最大の技で迎撃するだけだ。
考えるのは生き残ってからの話である。
タナトスが大鎌を振り下ろすと同時に、死気の嵐が大爆発した。
五条の閃光は、爆発する死気の嵐の中を構わず貫いていき、獲物を目指す。
死気の風の爆発は、閃光を掻き消そうと荒れ狂った。
「……消えろ紛い物の太陽っ!」
紛れもなく同じモノでありながら、あれは間違いなく紛い物。
矛盾した解答を本能的にタナトスは導き出していた。
もし、あれがビナー……『本物』のブリューナクなら、自分は勝てない。
片腕を失い、全身に深手を負っている今のコンディションで放ったデスストーム・バーストで相殺できるはずがないのだ。
「……消え失せろ!」
タナトスの叫びと共に、弾けるように、死気と光輝が全て消し飛ぶ。
「……あっ……うくっ……」
タナトスは俯せに大地に倒れ込んだ。
その手から魂殺鎌の姿が消えている。
「……ふっふっふっ……お見事……」
魂殺鎌は深々とマハの左胸に突き刺さっていた。
マハが十字架の上から墜落していく。
マハの体は地に着く前に、無数の赤い鳥の羽となって飛び散った。
「くっ……勝ったのか……?」
タナトスはいまだ実感のわかぬ表情ながら、なんとか残った右手を使い、ゆっくりと立ち上がる。
「……うん、見事だよ。確かに一度殺されたもの……」
「なっ!?」
声は真横からした。
声に遅れるようにして発生する気配。
「……ばいばい」
マハの赤く塗れた左手が一閃したかと思うと、タナトスの姿は跡形もなく掻き消えた。



「……おかしいですね……」
アンベルは目の前の光景に違和感を覚えていた。
雪原の山頂、異界への門。
そこには誰もいなかった。
先に駈けていったはずのタナトスの姿もない。
「まあ、確かに、お姉ちゃんのご主人様が居ないのはおかしいよね。そんなに引き離されたつもりもないし……」
「いえ、そうではなく、この『空間』自体ががおかしいって言ってるんですよ、アズラインちゃん」
「そりゃおかしいに決まってるよ。門から馬鹿みたいに瘴気が溢れ出しているもん。ここは半ば異界と化しているね。ボクには見えないけど、きっと死霊とかも溢れているんじゃない? 瘴気に引き寄せられてさ……」
「いえ、そうではなくてですね……なんと言いますか……」
アンベルは言い淀んだ。
論理的に説明する的確な言葉が思い浮かばない。
空間への違和感はあくまで直感的に感じているに過ぎなかったからだ。
「仕方ないですね……ちゃんと直視して見ま……」
「ふん、プライベート空間か。なかなか良くできている」
「えっ?」
突然、背後から生まれた声に振り向くよりも速く、チィンという音が響く。
そして、アンベルの目の前の空間は切り裂かれた。



突然、マハの真横の十字架の墓が真っ二つに切り裂かれた。
いや、正確には十字架の存在している『空間』が切られたのである。
「外れか……」
空間にできた『切れ目』から姿を現したのは、黒一色の制服の美人だった。
「…………」
マハの視線は、美人が腰に下げている剣に向けられている。
「ん、この剣が欲しいのか、死肉を啄む鴉よ? これは名も銘もないただの丈夫なだけの剣だ。お前のコレクションに加える価値などないぞ」
美人はすらりと剣を鞘から抜き放った。
細身の曲剣、それは美しい輝きを放ってはいたが、一切の魔力や神聖力を感じない、正真正銘普通の剣のように見える。
「邪魔をしたな、鴉。捜し物が隠れているかもと思ったのだが……無駄足だったな」
美人は剣を鞘に戻すと、無防備に背中をマハに見せて、空間の切れ目の中に戻っていた。
その間、マハは指一本も動かせず、一言も発することができない。
美人の姿が完全に『マハの世界』から消えると、初めて安堵の溜息を吐くことができた。
アレは怖い。
世界も、幻(まやかし)も容易く切り裂く鋭すぎる抜き身の刃だ。
下手に発言し、機嫌を損ねられたら、その瞬間、自分はあっさりと切り捨てられていたに違いない
自分の持つ全ての力は、あの存在の前では全て脆弱な幻に過ぎないのだ。
自分と相性最悪の相手。
どこまでも正当で、己の力だけを頼りとするタイプ……自分とは真逆の存在。
「白の魔王などとは格……いや、次元が違う……」
白の魔王と出会った時は、自分より遙かに強いとは思ったが、怖いとは感じなかった。
「……さて……目的は果たしたし……また何か来る前に退散……」
「ちょっと待った〜っ!」
空間の切れ目から飛び出した光の矢がマハの真横を通過する。
「……また妙なのが……」
切れ目から姿を現したのは、桜色のフードを頭から被った、とても怪しげな人物だった。












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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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